2013年10月02日更新
どのエリアに住むかで、暮らしも住まい選びも変わる
沖縄移住と言っても、何も海外に行くというわけではない。私のなかでは「引っ越し」。ちょっと長距離だったが。引っ越しだから、「どこに住むのか」、「賃貸?持ち家?」、「マンション?一戸建て?」と、東京都内で住まい探しをするのと大差ない感覚だ。当初は、ここまでキッパリと東京のマンションを売却して、あわただしく引っ越すつもりもなかったし。
今回は、そんな沖縄での住まい探しの話をしよう。
まずは、「どこに住むのか」、エリアの話。
沖縄本島は南北に約107kmと細長い島だ。東京から静岡県の三島、茨城県の水戸、群馬県の高崎あたりの距離になると言えば、イメージしやすいだろうか。東京都心に住むのか、地方都市に住むのかで暮らしぶりが変わるのは当然だ。東京のなかでも23区内なのか郊外なのかでも随分違うのだから、ましてや100kmも離れていれば、まったく異なった生活スタイルになるのは想像できるだろう。
ここ沖縄本島は、北部・中部・南部と大きく3つのエリアに分かれているのだが、各エリアの中でも、西海岸と東海岸では、町の様相がまったく異なる。さらに、沖縄の歴史や文化もエリアによって違いがあるので、沖縄方言ひとつとっても、北部の人の会話を那覇の人は理解できない、という話もあるぐらいだ。ひとくちに沖縄移住というものの、住むエリアによって生活スタイルが変わるので、住まい探しでは、まずエリアを絞り込むことが重要だ。
たとえば、南部には沖縄の政治・経済の中心・那覇市があるが、市内にはタワー型のマンションも建てられ、県内外のデベロッパーが建設するマンションは、沖縄移住者のみならず、県内でも人気で、車で走っているとそこかしこに、常にモデルルームを見かける。交通の利便性も高く、沖縄唯一の軌道交通「ゆいレール」が走っている。何も観光客専用に整備されたわけではなく、朝夕は、さながら通勤ラッシュで市民の足となっている。路線バスも充実していて、本数も多い。タクシーを使っても1000円あれば大抵の場所へ行ける。大型スーパー、大型書店、病院、学校と揃っていて、生活をするうえで不都合を感じることは、まずないだろう。ここでの暮らしは、東京での暮らしと大して違わないと思う。
一方、本島北部は「やんばる=山原」と言われるほど、原生林が残っていたり、手つかずのビーチがあったりと、実に自然豊かなエリアだ。よく沖縄移住では、この北部エリアで自給自足の生活をする若い夫婦がメディアに取り上げられたりする。また、定年退職後に夫婦で移住して、ペンションや飲食店を始めたという話も多い。もちろん、車がなければ生活できないし、ちょっとした買い物でも北部の玄関口・名護市あたりまで行かないと大型スーパーはない。
沖縄といえども、広いのだ。
私はといえば、その中間地点、中部の読谷村に住まいを構えることにしたのだが、最初は、中部の西海岸沿いのエリアとしか考えていなかった。やはりダイビングを通して、なじみがあったのが、このエリアだったからだ。那覇のウイークリーマンションに滞在して、那覇のダイビングショップを利用したこともあったが、いざ住むとなると、東京での生活とあまり変わらないと思った。私は東京ほどの利便性はまったく求めていなかった。北部でダイビングするために格安のホテルに滞在したこともあった。しかし、利便性は求めていないとはいえ、生活となると、いずれ年老いて車の運転ができなくなったときに、ここでは買い物に行けなくなると思った。そのどちらでもなく、徒歩圏内にスーパーやコンビニ、病院がある、さらに海が近く、自然が身近に感じられる場所。それが中部の西海岸エリアだったわけだ。
そのなかでも、私が読谷村を選んだのは、那覇から車で1時間程度、目の前は海。なのに山も森もある。サトウキビ畑もある。文化と歴史、自然のバランスがほどよく、生活にはまったく困らない程度の利便性がある場所だったのだ。もともとは、ダイビングのメッカである北谷町(美浜のアメリカンビレッジ周辺)が、沖縄でもっともなじみのある場所だった。実際、このエリアではマンションが次々と建てられ、県外からの移住者や別荘として購入する人が多かったと聞く。東京にいる知人も別荘としてマンションを購入した。でも、私がこのエリアにしなかったのは、マンションではなく、一戸建てに住みたいという気持ちが強くなってきたからだったと思う。
■エリアを絞りこむと、自ずと住まいのカタチが決まってくる
沖縄のどんなエリアでも、マンションだって一戸建てだって、住むのは可能だ。東京と同じだ。
東京湾岸エリアを思い浮かべてみると、何もなかった場所に高層マンションが次々と出来上がっている。沖縄ではDFSがある「おもろまち」周辺の新都心と呼ばれるエリアが、まさしく同じような状況だ。もともとは米軍基地があった場所。返還されて再開発され、ショッピングセンターやシネコン、ホテル、数多くの飲食店、県立博物館ができ、新しい街に生まれ変わった。ここに一戸建ての住宅はもちろんあるが、新しい住民たちは、マンションを選択する。
東京の郊外では、住宅地として大規模開発されたエリアが多数存在する。そこにはマンションもあるが、新しい住民の多くは一戸建てを選択するだろう。沖縄であれば、那覇空港からほど近い場所に、一大住宅地として開発されたエリアがある。マンションがあっても多くの人は、やはり一戸建てを購入する。
つまり、東京であっても沖縄であっても、マンションでも一戸建てでも探すことはできるが、そのエリア、土地に合った住まいというものがあると私は思う。マンションが多く建ち並ぶエリアもあれば、一戸建てを中心としたエリアもある。もちろん、開発が進む都心であっても、昔ながらの日本家屋が残っていたりして、実に情緒ある趣きを感じさせる場所があるのは知っているのだが。住みたいエリアが決まれば、自ずと住まいのカタチが決まってくるのではないだろうか。
ただし、沖縄では、そもそも住宅地として利用できる土地は案外少ないので、大規模な分譲マンションや分譲一戸建て開発というのは、そう多くないのが実情だ。島の真ん中には米軍基地があるし、風光明媚な場所は国定公園に指定されていたり、開発に制限がかかっていたりするからだ。住みたいエリアが絞り込まれたからといって、一戸建ての場合は、そう簡単には話が進まないこともある。
私が選んだ読谷村は、完全に一戸建てのエリア。それも新規での開発はほとんどなく、昔からの住宅地として成熟している集落だ。マンションもあるが、賃貸マンションが多く、分譲となると限りなくゼロに近いと思う。そんな場所で一戸建てを建てるとなると、土地を探すところからスタートしなければならない。これがまた、一筋縄ではいかない。なぜならば、表立って土地が売りに出されることは、めったにないからだ。
地元の不動産会社を巡ったりしても、こちらの不動産情報誌をくまなく見ても、いい場所の土地の情報は出ていないことが多い。どう見ても空いている土地なのだが、畑として使われていたり、不動産会社に聞いても所有者に辿りつけないこともある。「売り地」の立て看板がでていても、県外からの移住希望者だとわかると、途端に話が進まなくなることもある。実際に私も何度か経験した。しかし、そうした苦労の末に手にすることができた土地は、自分にとって最高の場所であり、愛着のわく土地になるのだ。
沖縄移住にあたり、仕事をどうするか、子どもの学校をどうするかは、とても大事なことだ。けれど、沖縄に引っ越すと決めたからには、愛着のもてる住まいが見つかるか、というのは、少なくとも私にとっては、一番大切なことだった。
『私、沖縄に移住しました。』が電子書籍になりました(2015年9月25日)。
「あれから2年。沖縄で過ごした春・夏・秋・冬」も書き下ろし。どうぞご覧ください。
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世界遺産の「座喜味城址」を頂にして、読谷村の集落が広がる
坂から下りてくると、眼下に海(東シナ海)が見え、
海沿いに集落があります。
私は、この風景が好きです。
- フリーライター(2級ファイナンシャル・プランニング技能士)
伊藤加奈子 1963年生まれ。法政大学文学部日本文学科卒。リクルートにて不動産、住宅、マネー系の編集部を経て2003年に独立。以降、フリーランスでライフスタイル誌の創刊・編集に携わる。のち、マネー誌の編集アドバイザーを務め、現在は、主にWEBサイトで住宅、マネー関係の記事を執筆するかたわら、25年の編集者経験を生かし人材育成に努める。2級ファイナンシャル・プランニング技能士。All About マネーガイド
2013年4月に住み慣れた東京を離れ、沖縄に移住。と同時に、RC住宅を建築することを決め、2013年3月着工。11月に竣工した。