1. 家の時間トップ
  2. 暮らしのエッセイ
  3. 「三角の家の田中です」
  4. 古いもの好き

>バックナンバー

「三角の家の田中です」


東郷神社の能美の市は毎月第1日曜日に開催。早朝からやっていて、掘り出し物はすぐに売れてしまう


印判の食器は値段も比較的手頃。半端な数のセットものは、交渉次第でかなり安くしてもらえることも


エミリアシリーズはシンプルで暖かみのある絵がお気に入り。奥の古伊万里の角皿、蓋付茶碗は意外とどんな料理にも合う

2009年03月04日更新

古いもの好き

 物心ついた頃から、人の手が感じられるもの、使い込まれたようなものに惹かれる性格だった。父が集めていたジャズのLPの膜が張ったような音や、曲の合間に聞こえるバリ、バリ、というノイズを妙に心地よく感じたり、祖父の家の屋根裏で見つけた、埃まみれの古本を眺めるが好きだったり。

 そんな興味が形あるものに向かっていったのは、中学生になってからだ。表参道にある古道具の店に通いだし、明治や大正、昭和初期の生活道具を見てはどんな人が使っていたんだろう?と想像した。

 貯めたお年玉で念願適って大正時代の柱時計を買い、嬉々として担いで帰ったのは中学2年生の時。花柄の子ども部屋の柱に、かなりの違和感を持ってそれは飾られ、ギリギリとネジを巻いてはしょっちゅう狂う時間をおもしろがっていた。

 これをきっかけに、わたしの部屋はどんどん古く懐かしいもので埋まっていく。

 出窓は新しいカーテンを外し、家庭科の課題で作ったウィリアム・モリスの鳥柄ファブリックの電気スタンドとアンティークの小引き出しを。ドアは力技で取り外し、これまた古道具店で購入した簾を掛け、ルームナンバー代わりに古いホーロー製の住所表示看板を取り付けた。

 照明は子どもっぽい赤いカバーを外して剥き出しにし、調光器でできる限り暗く(その後、一気に視力が落ちた)。今から考えると、年代もテイストもごちゃまぜのすごい組み合わせだが、当時は自分の好きな物に囲まれたレトロ風空間にかなり満足していた記憶がある。

 高校生になってもその思いは高まる一方で、よく学校帰りに外から眺めていた下北沢の骨董品屋に、アルバイトで雇ってほしいと願い出たこともある。ひどく驚かれ、素早く断られたのは、まあ当然だろう。客に骨董を勧める制服の女子高生。実現していれば相当奇妙な光景になったはずだ。

 あれから随分時間が経ったが、古いもの好きは今も変わらない。いいなぁ、と思ったものの値段を訊ねるとそれなりの金額だったりして、多少見る目がついたのかなと思う半面、ミュージアムピースや作家ものにはあまり興味がなく、ウンチクを傾けるような知識もない。

 大人になって多少分別がつき、己の知識の浅さを見透かされるのが恐ろしいことと、単純にお財布方面の問題で、もう随分と店に足を運ぶことからは遠ざかり、出没先は骨董市が中心になっている。

 よく行くのは原宿、東郷神社で毎月開催される能美の市。ここは都内で定期的に開催される骨董市の中でもかなり規模の大きいもので、入口から境内まで店がぎっしりと並ぶ。品揃えも生活道具や家具から食器、着物に帯、絵画、使途不明の石や木片まであらゆる古いものが揃い、場所柄外国人にも人気がある。

 大抵はブラブラと見て回るだけだが、時々「これは」と思ったお手頃食器をさらに値引き交渉して手に入れ、家でガンガン使い倒している。今、わが家で最も登場頻度が高いのは、青い縁に赤と金で花の絵が描かれた古伊万里の角皿で、酢豚やらケーキやらを乗せて食卓に上げている。

 ビンテージ物を扱うネットショップを見るのも好きで、フィンランドにあるアラビア社のエミリアシリーズの食器は、気に入ったものを見つけては時々買っている。こちらも何も考えず普段使いにしていたら、コーヒーカップの側面のニュウ(ひびわれ)からド派手な染みができてしまい、自分用なのでまぁいいじゃないか、といいつつ少々涙目になったり。

 なんのコンセプトも統一感もなく、自分好みの古いものを片端から手繰り寄せているのが恥ずかしい。といいつつ、最近気になって仕方がないのが「弥生土器」である。

 縄文土器の素朴さや荒々しさとは全然違う、繊細な薄さとシンプルなライン、微妙な色のグラデーションがなんともいえず美しい。そして、どんな経路で流通しているのかさっぱり分からないのだが、骨董品店で時々売られているのだ。無駄を削ぎ落とした作為を感じさせない形は、現代の家にも案外違和感なく溶け込むはず...

 ひょっとすると、このコラムが掲載される頃には、三角の家に弥生土器がフツーに置かれているかもしれません。

ページトップへ