2011年05月11日更新
廃材の家、パリのエコロジカルライフへ(アリオの最終回)
こんにちは、有緒です。気がつけばもう桜の季節も過ぎ、ゴールデンウイークももう終わり。
みなさま、どうお過ごしでしょうか。
3月、この連載の原稿をそろそろ書こうと考えている頃、あの東日本大震災が起こりました。私の母も福島県出身なので、とても他人事ではなく、これから私も東京で何ができるだろうかと考えながら過ごしています。一か月半がたちましたが、まだ私の気持ちもまだゆらゆらと揺れ続けているような感じです。
巨大な悲しみが洗い流された後に、何が残るのでしょう。できれば、それは”希望”であって欲しいと切に思います。英語でBuilding Back Betterという言葉があります。大きな災害の後に、元の通りに復興するのはなく、災害を機会として”ベターな”暮らしを創造しようという言葉です。さて、そこで問題なのは”ベター”な暮らしとは、いったものなのかということですよね。私が思うベター。それは、もしかしたら少し不便な暮らしなのかもしれない、とパリに六年間暮らしてみたからこそ思います。
カオリさんも書いてくれたように、パリの暮らしはけっこう不便です。私が住んでいたアパートも家賃の割にボロボロ。隙間風が吹くので冬は寒く、使えるお湯だって量が限られています。それに、突然の停電やら水漏れが勃発し、友達の家に厄介になったこともありました。街に出れば急に電車が止まったり、お店が閉店していたり、駅全体が急にクローズしていたり。職場だって数年前までクーラーも入っていなかったので、夏の暑い時期は水で顔を洗ってなんとかしのぐ始末。毎日のように「ああ、不便だなあ!」と一瞬はイラつきます。でも、結局それでも何とかなっちゃうのです。
パリでは「まあ、しょうがない」「こういうこともあるよね」「ま、いいか」とその不便さを受け入れてしまいます。その代わりに貴重なものを手に入れていると心のどこかでは分かっているから。貴重なもの、それは、けっこう人間らしいゆっくりした生活。日曜日はマルシェで野菜を買い物して、お家で夕飯。平日だってレストランもけっこう早く閉まるから、夜も早く寝てしまいます。家が寒いなら、カフェでカフェオレを飲み、夏は外で夕涼みしながらピクニック。そういった不便さの裏側にある生活こそが、パリという街を世界でも珍しいほどに、余裕にあふれた場所にしていると思います。
ちょっと前置きが長かったのですが、今日はそんなパリジャンの中でも、特に自由でエコロジカル、ストレスフリーな生活を実現する友人の家を紹介したいと思います。場所はパリの十九区。住んでいるのは、アーティストのえっちゃんとその彼のブルーノ。彼女の人生はあまりにも面白く素敵で、私が一冊の本(「パリでメシを食う。」幻冬舎文庫)を書くきっかけともなりました。
彼ら二人がいま暮らすのは庭付きの小さな一軒家。なんていうと相当に贅沢ですが、実は家というよりも小屋と言った方が良いような大きさです。それは、ブルーノが設計し、自力でこつこつと建てたもの。
この家は、もう本当にすごいのです。まず、材料。そのほとんどが「パレット」と呼ばれる荷物を運ぶ時の木の台か、廃材だけでつくられています。それも、かなり複雑な構造。台所とダイニングは一階に、寝る場所は天井が低い中二階に、くつろぎの暖炉スペースは半地下に、というように設計されています。ちなみに暖炉が地下にあるのは、温かい空気を家じゅうに行きわたらせるため。寝室スペースはゆっくり寝られるように薄暗く、ダイニングには光を燦々と。
工夫はそれだけではありません。水道は来ていないので、トイレは水で流す必要がないドライ・トイレ。全てを堆肥化できるシステムです。水はタンクにためて少しずつ使います。その生活排水も自分でフィルターや水草、そし魚を利用してちゃんと浄水できるシステムも完備。また、風力発電の小さな器械が家の屋根のあたりでクルクルとまわり、ラジオくらいなら動かせてしまいます。家の外には広大な庭があり、そこで野菜を育てたり、日向でコーヒーを飲んだり。ここに来ると、あまりの自給自足ぶりに「本当にパリなの!?」と驚きますが、一歩敷地の外に出ればやっぱり普通の大通りです。
こんな暮らしを実現できた背景には、彼らがスクワッターと呼ばれる不法占拠者だからということもあります。つまりは、使われていない空き地や建物に勝手に住んでしまう人々。東京で聞いたらちょっとびっくりする話ですが、パリというやヨーロッパ各地にこんな建物がたくさんあり、アーティストのコミュニティができています。ここも、そんな場所の一つで、十人ほどのアーティストがのんびりと共同生活を送ります。もちろんいわゆるフツーの市民も遊びに行くこともまったく問題ありません。むしろ、「スクワットか、すごいな~」なんて喜ばれたりすることも。ヨーロッパでは、「空き家」や「空き地」にしておくことが貴重な資源の無駄遣いと考えられているので、放置された場所は乗っ取られてもしょうがない、という擁護派の世論まであるくらいなのです。しかし、誤解がないように言うと、この暮らしが「豊か」だと礼賛するつもりではなく、日本でこんなムチャな生活を推進したいとは思っていません。それにこの家の生活は、やっぱり不便だし当然快適でもありません。
でも、少なくともこの暮らしはとても未来的だなあ、と思います。何せガスや電気、水道が止まっても全く困りません。たぶん、備蓄も買いだめも節電も必要なく。つまりは、ちょっとした不便さの代わりに手に入れているものは、とても大きな心の余裕なのです。不便さに「まあ、いいか」と言い放ち、むしろ積極的に楽しんでしまう彼らに会うと、思わず「いかにもパリだな」と思います。心の余裕、それは、これからの東京、そして日本に一番必要なもののように思います。手に入らないもの、なくしたものに心を痛めるだけではなく、たまには「クーラーがつかなくて不便だけど、これはこれで楽しい」とか「まあ、ロウソクだけでもなんとかなるさ」、「たまには自転車で通勤もいいよね」などと思えれば、私達の生活はかなりの部分で気楽になる、と思います。
これは一例ですが、世界に存在する多様なライフスタイルにインスピレーションを得て、私もちょっと真剣に「私の東京生活の未来はどんな風になったらよいかな」と考えてみる、そんな時期がきているように思います。
実はこの連載、私の分は今回が最終回なのです。最後に何を書こうかなあと思っていましたが、こんな時期だからこそ、この素晴らしい小さな家を紹介できてとても嬉しいです。一年間読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。また、どこかで見かけたらぜひよろしくお願いします。
川内有緒
- カオリ・有緒(アリオ) プロフィール
- *カオリ
早いものでパリでの生活、11年目に突入。毎日、セーヌ川左岸にある職場と家の往復のみで、いまだにマレ地区に足を踏み入れたことさえないくらいのパリ音痴。アメリカに暮らす夫と遠距離結婚中。*有緒(アリオ)
ほんの1、2年ほどのつもりが、気づいたら6年目近くにも及ぶパリ生活。日本では考えられないようなトラブルに日々見舞われながらも、のほほんとした毎日。住んでいたのはサンジェルマンデプレといえば聞こえがいいだけの、築二百年近い古びたアパルトマン。趣味は、友人に料理を作ることと、アンティーク家具や骨董品などのガラクタを買うこと。 最近、東京に拠点を移しましたが、まだパリと行ったり来たりが続きます。最近初の著作となる「パリでメシを食う。 (幻冬舎文庫)」を出版しました。